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2026.3.27
当方は、介護保険サービスと同時に保険外サービスとして配食事業を行っている。
先日、市内のケアマネジャーから「担当するご利用者が配食サービスの利用を検討
しているので、一度無償でお試し利用をさせていただきたい」との連絡を頂いた。
結論から言うと無償のサービス提供が前提であったためお断りさせていただいた。
介護保険サービス事業は、一人の労働者が、大量の製品を生産することができた
り、在庫を抱えることができる製造業や不動産業とは違って、人手がかかるし在庫
を抱えることが難しい(不可能)なため、生産性が低い業種と言われている。
そんな業界にあって、さらに生産性を低下させている『悪しき慣習』が、ごく当た
り前のこととして取り扱われていることに大いに疑問を抱いている。
それは、「お試し(デモ)利用」である。
お試し(デモ)利用は、要援護のニーズは明確にあるものの、そのサービスや商品
あるいは事業所を利用するかどうかを決めかねている場合などによく用いられる。
そしてそのサービスや商品の提供は、保険適応をしない完全無償が一般的となって
いる。
このお試し(デモ)利用は、「サービスについて不安を持っている、あるいはよく
分からないという利用者に対し、実際に体験する機会を持っていただくという意義
がある」と最もらしい理由をつけて肯定され続けている。
一消費者でもある私も、「初回無料」とか「初回月半額」といったキャンペーンを
打って出る商品やサービスがあることは承知している。しかし、営利企業にあって
価格を自ら設定することができる商品やサービスについては、無料とか半額を取り
戻すことができるように本体価格を設定しているにすぎない営利戦略である。
一方で介護保険サービス事業は、介護報酬を自ら設定することはできないばかりか
無償のお試し(デモ)利用を含めた報酬単位の設定にはなっていない、文字通りの
ただ働きである。
それから、無償のお試し(デモ)利用であっても、介護保険を適応させて通常通り
に利用している方と全く同じサービスや商品を提供するため、当然のことながら
介護サービス事業所のスタッフは、介護保険を適応させて通常通りに利用している
方と全く同じサービスや商品を同じような対応で提供することになる。
あえて言えば、介護保険の適応としないため、より気を使わなければならないこと
を完全無償で生産性を引き下げてまで、人材が足りていないと叫んでいる状況下で
行わなければならないのである。
さらに言えば、介護保険法では禁じられている「不当な割引」に該当しない理由も
無償のお試し(デモ)利用を経ずに介護保険を適応させて通常通りに利用している
方との公平性が担保されている理由もどれだけ屁理屈をこねても見えてこない。
無償のお試し(デモ)利用を多投する地域包括支援センター職員やケアマネジャー
の中には、「私は不安を持っているご利用者のよき理解者」と自画自賛していたり
「お試し(デモ)利用の対応ができない事業所はサービスの質が低い」といい半ば
強制的にお試し(デモ)利用の対応をごり押ししてくる人がいたりする。
極端な人は、同一のサービスや商品に対して、5か所(品目)以上のお試し
(デモ)利用を繰り返したりする。そこまでいくと、ご利用者に決断力(判断力)
が欠けているのではなく、援助者側の提案力が著しく欠けていると言わざるを得な
く、振り回されるご利用者もたまったものではない。
「ご利用者の持っている不安を解消や軽減するための提案力やアセスメント力が
欠けていて、結果としてサービスや商品、事業所を選定することができず、その
しわ寄せをサービス提供事業所に背負わせている」現象をお試し(デモ)利用と
呼ぶのではないかとさえ思える。
こうした現象が介護業界の生産性の低下を生み出していると強く訴えたい。
2026.3.24
以前、『AIの革新的な進歩によりホワイトカラーの大量失業は既に始まっている』
ことを話題としたが、こうした状況を踏まえて「これから先、AIがさらに発達して
いくと、いずれ介護支援専門員は必要とされなくなるのか?」ということが業界内
で話題となることがある。
その問いに対して、多くの業界人は「NO」という答えを出している。
そして、その答えの根拠は、「人間による面接や対人援助技術をAIが全て模倣する
ことはできないから」といった内容が多い。
確かに、心理的な個人の内面を読み取ることや非言語的コミュニケーションを全て
把握することは、流石にAIが進歩し続けても難しいのではないかと思う。
ただし、介護支援専門員の業務がAIに取って代わられることの論点って、そこなの
だろうかという疑問がわく。
そもそも、現役の介護支援専門員のアセスメントやケアマネジメントにかかる技術
力には個人差があまりにも大きすぎる。また先に挙げた、心理的な個人の内面を読
み取ることについても、出来る人もいるがほとんどできていない人も少なくない。
さらには、介護保険内外のサービス利用にかかる提案や調整には、介護支援専門員
が持つ情報量や”好み”といった恣意的な要素が大きく影響している。
つまり、人間によるケアマネジメントは、介護支援専門員個人の技量や趣向に左右
されやすい非常に不確実であり、必ずしも公平性が担保されていない業務と捉える
ことができてしまう。
これから先の10年20年後に高齢者となる世代は、比較的にICTやAIになじみが
深い。また、恣意的ではなく合理主義的思考を持つ人が多い。
そう考えると不確実な人間によるケアマネジメントよりもAI等を駆使したケアマネ
ジメントを好むのではないだろうか。
事実、対面による接客よりもタッチパネルでオーダーすることやセルフレジの方が
ストレスが少ないとして好む人が増えてきている。
こういうことを話題にすると「認知症を発症しているなど自分の意向を適切に表現
できない方への支援がおざなりになる」という反論が聞こえてきそうである。
しかしそれは、AIの革新的な進歩とは全く論点が違うように思う。
以前、『医療侵襲行為の同意』でも取り上げた通り、認知症などによって判断能力が
低下している方への支援に対する法整備が全く追い付いていない。この点が進展し
なければ、AIを使おうが使うまいが今と状況は大きく変わらない。
上記に加えて人員不足や財源不足も相まって、「いずれ介護支援専門員は必要とされ
なくなるのか?」との問いには、「YES」と答えざるを得ないのではないだろうか。
仮に人間によるケアマネジメントの必要性が存在したとするならば、その担い手は
兼務する介護現場のスタッフとなることだろうと思う。
2026.3.23
前回、”規制の悪用”を話題にした。
規制は悪意が無くても愚策として、国民に多大な悪影響を及ぼすことがある。
その典型的な例が「減反政策」ではないだろうか。
古来より主食とされてきた米が、戦後の欧米文化の浸透によって”米離れ”が起きて
米が余剰となり価格が下落したことに端を発して、「農家を守る」ことをお題目とし
て、新規の開田禁止や他の農作物への転作が奨励された。
しかし結果としてこの政策は「農家を守る」どころか「農家を潰す」愚策だった。
戦前までは、米に対する愛着が強い日本人であったため、品質や生産性の向上に
非常に熱心であったが、この愚策によって、生産規模の拡大や生産性の向上を図ろ
うという取り組みは規制によってことごとく阻まれ、例え規模が小さくても生産性
が低くても補助金で守られてしまうため、生産意欲は低下していった。
世界に誇る”日本のお米”を沢山生産できたのであれば、他国へ輸出するという発想
が乏しいので自国で小さくまとまろうとした結果、衰退の一途を辿ることになって
しまったように思う。
2018年に減反政策は終了したが、未だに補助金や目に見えない規制を発動して
おり、実質的にはこの政策を継続しているような状況にある。
国はこのようにして競争力の向上の源となる生産意欲を奪っていくのである。
私たち介護業界も非常に似た構造にある。
規制によってがんじがらめにされているため、サービスの質や生産性の向上を図り
たくても、価格一つ決めることができないので、官僚の手のひらの範疇でしか物事
を動かすことができない状況にある。
逆にサービスの質がさほど高くなくても、違法すれすれの行為を繰り返していても
公定価格による報酬を手にすることができてしまう。さらには、この業界も他業界
同様に規模が小さく生産性が低い事業者を守ろうという力学が働くようルールが
決められてしまうため、結果としてこの政策も農家のそれと同様に「事業者を守る」
どころか「事業者を潰す」愚策となっていった。
近年は、社会保障にかかるお金も人手も足りなくなってきた。そこでここ数年、
国はこれまでは口にすることがほとんどなかった「生産性の向上」を繰り返し訴え
るようになってきた。
少し前までは「手間と人手をかけて丁寧に」などと言っていたのに、急に「効率と
生産性」と言い始めたのだから、小規模で生産性が決して高くはない事業者は一溜
まりもない。
「○○を守る」と訴えて政策を作り実行してきた方々は、いったい何を守ろうと
しているのだろうか。いやいや、守ろうなどという考えはほとんどなく、急場しの
ぎを繰り返してきただけだろう。
思慮深く賢明な特権階級の人の言うことであれば、従うこともやぶさかではないが
今の政治行政に携わる方々にはもろ手を挙げて従う気には全くなれない。
2026.3.17
集団生活の中である程度の秩序を担保する上で”規制”は重要な役割を持つ。
規制は”ルール”と置き換えることもできるが、ルールが無ければ皆が好き勝手に
行動することを助長してしまい、そうした状況が続けば得てして弱い立場の者が
大きな不利益を被ることになる。
そうした状況にならないためにも”規制”は大切な考え方である。
しかしその一方で”規制”は、集団を統制する性質を持つことから、一部の特権階級
によって悪用されることも少なくない。
権威主義のもと、独裁政権が国民の利益を度返しして傍若無人な振る舞いをしたり
敵国と認定した相手に戦争を仕掛けたりするなど、自国民に多大な損害を与える
行為を繰り返すような国には決まって強力な規制が存在する。
そして、軍国主義を貫くには、強力な規制は無くてはならない必須アイテムだ。
ところが、権威主義と対極にあるはずの自由主義を名乗る国の一部が、強力な規制
とともに国際社会において傍若無人な振る舞いを繰り広げている。こういった国は
もはや、「ルールを作るのは、国家ではなく特権を持つ個人」に成り下がってしまっ
ている。
そういった点において、自由主義国の一つである日本は一体どうなのだろうか。
我が国は決して規制の少ない国ではない。そしてその規制は、一部の政治家や官僚
にとって非常に都合の良いアイテムになっている。
ただ残念なことに「自分で考える」ことが苦手な日本国民にとって、規制が多い
ことはむしろ歓迎される傾向にある。
未だに、年配者の中には「お上に逆らうことはとんでもない行為だ」と真顔でいう
人が少なくない。
こういう国は、ちょっとしたボタンの掛け違いで簡単に軍国主義に走ってしまう
傾向がある。私たちは、自分の身を守るためにも「自分で考える」ことをやめては
いけない。昨今、戦争状態に発展している同盟国への軍事協力は絶対に許しては
いけない。
そして、「自分で考える」さきには、今ある規制が私たち国民にとって有益なもので
あるのかを今一度見直すことにつながるはずだ。
私たち高齢者介護業界は、公的社会保険サービスの性質から、多くの規制のもとで
事業を運営している。国民にとって有益なルールであれば、遵守するのは当たり前
のことではあるが、「誰のためのルールだ?」と首をかしげたくなるようなルールに
ついては、しっかりと考えて必要に応じて声を上げるべきであろう。
我々の業界には、「役人の役人による役人のためのルール」があまりにも多すぎる。
2026.3.13
それにしても、
「アメリカ・イスラエルとイランとの武力衝突」により、エネルギー源の約3割を
占める原油の中東諸国からの輸入が滞っている状況に対して、新聞やテレビを媒体
とした”オールドメディア”の取り上げ方って何なんだろう。
それらのほぼ全ては、冷静に状況を分析して事実を伝えているというよりは、限り
なくあり得ない可能性をふんだんに用いながら、国民の不安感を煽れるだけ煽って
いるとしか思えないやり方で報道している。
思い起こせば、新型コロナウイルス感染症が流行した時も同じようなやり方で無用
に国民の不安を煽ってきた。この人達の手にかかれば、インフルエンザウイルスも
致死率100%の極めて危険な病原体になり得る。
この人達って、いったい何がしたいんだ。
「国民の知る権利を守るために情報を提供している」などとそれっぽいことを言っ
ているようだが、私から言わせてもらうと「不安に苛まれている国民を見ながら、
せせら笑っている悪趣味な連中」としか思えない。
ここ数日でガソリンの価格が急上昇し続けているが、数か月後に今のような状況に
陥ることはまだ理解できても、本来であれば現段階でここまで急上昇する理由が
見当たらない。全ての原因とまでは言わないが、ここまで価格が急上昇した原因を
作っているのは間違いなく、国民の不安を煽っている”マスゴミ”だろう。
かと思えば、いざ災害等が発生すると「冷静に行動してください」などとアナウン
スしてみたりする。冷静に状況を分析して事実を伝えることもできない連中がよく
もまあ、そんなことが言えたものだと呆れてしまう。
たとえ”ゴミ”のような存在であっても、消えてなくなれとまではいわないが、少な
くとも、この人達に公共の電波を使用する権利を与えるべきではないだろう。
2026.3.12
ここ数年急上昇している物価に各家庭も企業も大いに苦しんでいる。
そこに来て、「アメリカ・イスラエルとイランとの武力衝突」が起きた。その代償は
大きく、当事国だけではなく世界の各国が多大な損害を被っている。
我が国は、エネルギー源の約3割を占める原油を中東諸国からの輸入に頼っている
わけだが、先の武力衝突の影響で輸入が滞っている状況にある。
そうなると当然のようにガソリンや灯油の価格が急上昇する。もう、家庭も企業も
支出を抑える限界を超えてきているのではないだろうか。
それでも、副業をして収入を増やす家庭や商品の値段を上げて収入を増やす企業は
まだなす術はあるだろうが、我々のように数年単位でしか変更しない公定価格で事
業を運営する介護業界はほぼなす術がない。
これから先、我々介護業界では、雪崩のように倒産や事業の休止・廃止が発生する
ことが予想される。残った体力のある企業や事業者がどこまでその穴埋めができる
というのだろうか。まずもって無理だろう。
国は今懸命に「介護職員の処遇改善」を進めている。それはそれで結構なことでは
あるが、介護職員の処遇が改善される前に母屋である企業や事業者が潰れてしまっ
ては元も子もない。
この場で繰り返し述べているいることではあるが、やはり公的社会保険サービスで
ある介護保険サービスは、もっと種別を絞るべきであろう。多くの国民に耳障りの
良い「広く浅く」を続けて行けば、企業や事業者は持ちこたえられない。
重要性や優先順位に沿って的を絞り、そこに多くの人材と財源を投入する方法を取
らなければ、倒産や事業の休止・廃止はさらに加速することだろう。
それにしても、介護職員の処遇改善の一環である「介護分野の職員の賃上げ・職場
環境改善支援事業の補助金」のこれまでの流れを見ていて改めて、「何で日本の行政
はスピード感を持った仕事ができないのだろうか」と思ってしまう。
タイミング的には、選挙対策とも思える節があったため、行政も政治に翻弄されて
いるという側面はあるが、それでも現状を見る限りはよりスピード感を持って対応
しなければならないことは明らかだ。
上記補助金は、昨年の12月を起算日として事業者が職員の処遇改善等を実施した
場合に給付される補助金なのだが、3月中旬の現在においても未だに補助金を申請
する方法すら示されていない。
前述した通り、物価高に加えてガソリン等の価格高騰で事業者は悲鳴を上げている
ところに加えて、処遇改善の名目で人件費が高騰している。早々に補助金を手にす
ることが出来なければ、三重苦四重苦となってしまう。
平時から有事を意識してことにあたっていない人は、何か不測の事態が発生すると
決まって「想定外のことが起きた」という。我々の現場は常に想定外の連続であり
業務を遂行するスピードも緩急を求められることは非常に多くある。
常に平時しかイメージしていない人では、この仕事は務まらない。
我が国が如何に有事に弱いのかを露呈してしまっているように思えてならない。
我々技術職にではなく、公務員にこそ「資格更新制」を導入した方が良いのでは
ないだろうか。やる気も能力もない公務員には退場してもらった方が世のため人の
ためになるのではなかろうか。
2026.2.27
昨日、厚生労働省が公表した2025年の人口動態統計によると、昨年の出生数が
過去最少を更新し、前年より1万5179人少なくなったらしい。
減少はこれで10年連続となり、少子化に歯止めがかからない状況がはっきりした。
また、死亡数から出生数を差し引いた人口の自然減は89万9845人となり、
人口の減少にも歯止めがかかっていない。
少子化も人口減少も、様々な社会的要因や背景が影響しているため、一概に原因は
あれだこれだと断定することは難しいように思うのだが、それでもこうした現象は
自然な流れによる必然と思ってしまうところがある。
なので、社会全体で生活しやすい環境を整える取り組みは大いに結構なことだが、
無理やり子供を産み増やそうとしたり、人口を増やそうとすると大きなひずみが
生まれるように思えてならないので、やめた方が良い。
自然と減っていくものを受け入れる段階に入ってきているのではないだろうか。
人口動態統計としては、少しづつ減少していくと捉えてよいのだが、高齢者介護の
分野においては、高齢者人口は未だに増え続けるが、担い手となる生産年齢人口は
減り続ける需要過多で供給不足の状況に陥っていると捉えなければならない。
ここのところ立て続けに、老人ホーム等で入居者が職員から暴力を受けて死傷する
事件報道が相次いでいる。これは”虐待”などと言う言葉で片づけてはいけない歴と
した犯罪行為だ。
無論、これまではそういった事件は一切なかったというつもりはない。ただ、ここ
のところ急増しているように思えてならない。しかも事件化されて報道されている
事例は氷山の一角であろうと思う。
先ほど、「無理やり子供を産み増やそうとしたり、人口を増やそうとすると大きな
ひずみが生まれるように思えてならないので、やめた方が良い」と申し上げたが、
同じように、「十分な人材が確保できていないのに幅広い分野に介護の専門職を配置
すると大きなひずみが生まれるので、やめた方が良い」とも申し上げたい。
国は今懸命に「介護職員の処遇改善」を進めている。それはそれで結構なことでは
あるが、処遇が良くなれば万事解決するという状況ではない。先ほども申し上げた
”ひずみ”を解消することもまた重要であろう。
もういい加減、軽度要援護者に介護の専門職を潤沢に配置する基準はやめるべきだ
し、公的社会保険サービスからも外すべきだろう。
先日、テレビで「麻雀デイサービス」を売りにしている事業所のコマーシャルを目
にしたが、こんなものに大切な公金と介護の専門職を使ってよいのだろうか。
やるのは構わないが、どうせやるなら民間サービスにしてもらいたい。
人もお金も無駄遣いできる時代はとうの昔に終わっている。
2026.2.25
災害級の降雪も一段落し、冬季オリンピックが閉会し、衆議院議員総選挙も終わり
ようやく平時に戻れると思った矢先に、これまでの疲れがドッと出てしまったのか
体調を崩してしまった。
不幸中の幸いでインフルエンザや新型コロナ等の感染症ではなかったが、何日かは
寝込んでしまうほどしんどかった。
数日間、自宅療養を余儀なくされている間は、普段はあまり目にしないような情報
を得る機会が多くあった。その中で個人的に興味を引いた情報としては、『AIの
革新的な進歩によりホワイトカラーの大量失業は既に始まっている』といった内容
の記事だ。
以前からそうした声を聞くことは多くあったが、それでも「まだ先の話だろう」
くらいに受け止めていた節があったが、現状はそんなに先の事ではないらしい。
これまでは主流であった「対話型AI」は、膨大なデータから質問に対する答えを
導き出すことを得意としていた。そして、その能力は”言葉”の領域にとどまって
いることが特徴だった。そのため、解答を示すことはできても解決することができ
なかった。
ところが、先日アメリカのある会社が発表した「行動型AI」は、単に解答を示すの
ではなく、予測と計画に基づいて実行することが可能となるシステムらしい。
その記事にある事例を引用すると、”フライトが欠航した場合”
これまでのAIでは、顧客に対して「お詫びと再予約の通知、手続き窓口への誘導」
が限界であったが、新しいAI技術では「本人確認、空席状況を把握し予約の確定、
返金や保証の処理」まで一元的に処理してしまうらしい。
更にその記事では、「今後はオペレーション業務の大部分をAIが担うことになる」
と結論付けている。
オペレーション業務と言えば、以前当ブログでも取り上げた、米国の人類学者デヴ
ィッド・グレーバー教授が提唱した”ブルシット・ジョブ”定義された「組織のなか
の存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している苦情処理などの仕事」
にあてはまる。
個人的には、AIの革新的な進歩に一抹の不安を覚えずにはいられないが、ブルシッ
ト・ジョブの一掃に役立ってくれるのであれば大歓迎だ。
できれば、私の大嫌いな電話で押し売りしてくる「人材派遣・紹介」の業務も一掃
してもらいたい。
2026.2.12
嵐のような降雪と衆議院議員選挙が終わり、少しだけ平穏な日々に戻りつつある。
同選挙で大勝した”高市政権”は、社会保障制度の健全化と現役世代の負担軽減、
そして介護保険報酬の増額を推し進める政策を実行しようとしていることに関して
高齢者介護事業を営む経営者としては大いに期待したいと考えている。
無論、そういった政策の実行が、将来へ”ツケ”を回さないことを前提としてもらい
たい。
そのことと同時に検討してほしいことがある。
災害級の降雪が一旦治まったとはいえ、未だに住宅街や脇道には雪の山が多く見受
けられる。
私たちがご利用者宅へ訪問する際には、社用車で移動することがほとんどであるが
こうした積雪が多くあると、夏場には特に問題はなかった駐車スペースを確保する
ことが非常に困難となる。
ご利用者の生活や生命を支える業務に従事している私たちにとって、この駐車スペ
ースの問題は決して小さなことではない。
車を止めるスペースを確保するために、駐車しても交通に支障がない場所を探して
グルグルと走り回ったり、雪かきをしてスペースを確保することがざらにある。
この時間が本分の支援業務に大きな影響を与えてしまう。
最悪の場合には、支援の手が遅れてしまい、生活や生命の危機に瀕する状態になっ
てしまうこともある。
こうした課題を解消するために、お隣の札幌市の一部では、コンビニエンスストア
や町内会館の駐車場を訪問看護の車両に無償で開放する取り組みが行われている。
大きな政策もとても重要ではあるが、地域特有の課題解決に取り組むこともまた
重要な政治行政の役割ではないかと思う。
2026.2.10
先の衆議院議員選挙は、皆さんご存じのとおり「自由民主党の歴史的圧勝」という
結果となった。
ということは同時に、大敗したところがあるということになるのだが、今回のそれ
は「立憲民主党と公明党が結成した新党」がそうなる。
何度も申し上げている通り、私は特定の政党や政治家を支援しているわけではない
ので、”どこが勝った負けた”はさほど気になるところではないのだが、さすがに今回
大敗を喫した新党には、「何がしたかったのかさっぱりわからない」という意見には
同調せざるを得ない。
また、くっ付いたり離れたり分裂したりをコロコロと繰り返すような集団は、国民
からも一般社会からも信頼を受けることはほとんどないだろうとも言える。
そしてまた、今回の選挙で大敗を喫した集団がもう一つある。それは新聞やテレビ
を媒体とした”オールドメディア”であろう。この人達は挙って現政権を批判し続け
何とか足を引っ張ろうと必死になっていた。しかし蓋を開けてみると自由民主党の
歴史的勝利となり、彼らもまた敗北感に苛まれていることだろう。
そうした中で一つ興味深いことがあった。
今回、大敗を喫した政党の執行部も多くのオールドメディアも負けた原因として
挙げたものが共通していたということである。それは、”SNSやインターネットを
媒体とした新興メディア”の存在である。
昔ながらのやり方で確固たる地位や権力を保持していた集団にとっては、”新しい”
ものが疎ましくて仕方がないだろう。
個人的には、古くから続く文化も歴史も好きだが、「昔があるから今がある」という
ことを無視して、旧来の手法に固執しつづけることは時代錯誤としか言えない。
今回、大敗した政党もオールドメディアも、時代に取り残されていて国民から相手
にされていないということを受け入れたくはないのかもしれないが、このままでい
ると「こういう集団が昔いたらしい」という振り返りに使われることになる。